昭和41年12月08日 夜の御理解
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あるとき三代金光様に 金光様おかげを頂きますにはどういう信心をさせて頂いたらよろしゅうございましょうか、と言う様な事をお伺いされた。いわばおかげを頂く、言うならこつとでも言いましょうか。お伺いされたときに金光様が、仰っておられることは、教祖の神様のみ教えを守る外はありませんと仰った。沢山の金光様の御信者がおります。なるほど、ま、それぞれおかげを頂いておりますけれど、本当のおかげになっていかない、というのがどれだけあるやら分からん。多いですね。
椛目でもこれだけおかげを受けておられますけれども、本当のおかげに進んでいき、本当のおかげに、自分もこのままいきゃ、必ずおかげを受けられると、言う様な確信を持っての信心を頂いておられる人が、何人おられるだろうかと思うですね。それはその教祖の神様のみ教えというものを、守ればおかげになるという、思い込みがないからだと思うですね。ですからなら、182か条からの天地書附とともに183か条の御教えがございますね。けれどもその御教えの5条を本気で行じておるかと。
ま、知らない事の御教えも、多いんでしょうけれども、教えて貰うた覚えておるその御教えでも、どれだけ本気で自分のものにしておるか。ただ拝みよりますというだけの信心ではいけません。毎日お参りしよります、という信心だけではいかんのです。教祖の神様が教えて下さった事をです、守る以外にないと仰っている。そこでですねお互いがここん所を、ひとつ本気で頂かせて貰わにゃいかん。皆が大きなおかげを頂きたいと思う。そのためには大海の様な信心をせよと、こう四神様が仰っておられる。
なら大海のような信心をさせて頂くことに、本気にならにゃならん。それでそのそれを行じ抜く、行じ抜かせて頂いて、どういう大きな事柄があっも起こってもです、おかげになると確信が出来ると。それを行じたり行じなかったりで頂ける筈がない。ほんとにあの教祖の神様のみ教えを、ほんとに行じる以外にないと、金光様がおっしゃっる。椛目の方達は結局は、教祖の神様の御教えに基づいてま、いろいろに頂くんですけれども、だから分かってはおる。大体。けれどもそれを行の上に現そうと。
いや表さんでもおかげを頂いて来ておるのだから。その思い込みがない。教祖の神様の御教えを行じ抜けばおかげになる、ほかに金光様のご信心のこつあいはありません。私はその思い込みをつくるためにですね、ひとつ本気で1か条の御教えでも、行じさせてもらう信心にが必要だ。そしてそこから成程というものが出来たら、そこんところを又実意丁寧に次から次と御教えを自分のものにしていくと言うこと。
おかげを頂かにゃなりません。どうぞ御教えの、御教えをほんとに自分がそれを、身を持って行じさせて貰うと、いうこと以外にはありません。本当のおかげを頂くと、三代金光様が仰っておられるのです。けれどもさあ、沢山おる金光様の御信者がです、それをおもい込んでおる人がいくらおるだろうか。日々お参りをする、お日参りをする、やっぱおかげを頂く、何とはなしに安心がでける。お供えをする。確かにおかげは頂くです。例えばある人が、洋裁をやっています。
月々三回か四回でしょうか、ま、特別そのご造営費のお供えをさしてもらう。ところがもう、これはもう絶対神様はただ取りはしなさらんですね、そいで昨日、親子三人おられますが、三人でその相談しました。お母さん、あの家にあるお金をみんなお供えしたらよかじゃんの、したらお母さんがいわっしゃった。あんたみんなお供えしてから、してから例えば、あんたがわずかづつの月々お供えをすると。確かにそれには神様がただ取りなさらんなぁと言う様な、おかげを見せて下さるけれども。
あんたががばっとお供えしたならばです、がばっとおかげを頂こうと言う気持ちがあったんではいかんばの、ようと考えてみるとそうじゃん、折角大きなおかげを頂くなら、ね、一万円のお供えよりも、これ十万円のほうがよか、それに確信がでけた。十万円で、ね、少ししか出しなさらんという感じがする。けれどもお母さんが、あんたがこれお供えさせて頂いてもいいけれども、十万円がたお供えすりゃ、十万円がたのおかげ、一万円お供えすりゃ一万円がたのおかげを頂くからというて。
沢山お供えしたからというておかげ頂くもんじゃなか、お母さんは毎日毎朝参ってきてからね、ですから結局私達もう条件のない、真心をです一生懸命例えば一万円がつを二万円にさせて頂ける様なです、お繰り合わせを頂いて、確実にそれを自分のものにして行かなければならない。これだけはおかげの頂ける私ということ。ね、御教えでも同じこと、一か条一か条成程一か条、本気で自分のものにさせて頂いたら、こうした確信が出来てくるのであるから、これが二か条、三か条と自分のものになったら。
どう言う様なおかげを頂くだろうか、もうそれこそ先の方が明るうなってくる、その教えを本気で頂こうと。自分のものにしょうと。いやもうほんとのおかげというのは、御教えを行ずる以外にはないのだと、いう思い込みをですね、作る為に私は一か条づつでも自分のものにして行こうと。漠然と知ってはおるけれども、金光様のご信心とはこんなもんだと知ってはおるけれども、なら金光教のご信心が、自分のものになっておると言う事はないでしょうが、みんな。
拍手四つ叩いてから大祓いやら拝詞やらを、そして拝む、朝の御祈念には参る、月次祭には欠かしたことがなか、というだけではですね、金光様が仰るような、もう他にはこつはありません、本当の真のおかげを頂くのは、教祖の神様の教えを、行ずる以外にはございませんと仰っている。だからその思い込みをです、創らなければいけない、創るために私はそれこそ小さいところから、ひとつの御教えでも本気で、この御教えは自分のものだと頂こうと、ね。
そのことに徹底してそれを、自分のものにしていくところに、次から次へと御教えを自分のものにしてく事が、楽しゅうなってくるのですよ。拝むようでよくなると言う事ではないです。信心でおかげを頂くと言う事は、ね、どうぞひとつ御教えを自分のものにしていく以外にありません。ほんとに自分思うて見て御覧なさい。御教えのどれを自分は本気で行じ抜いておるだろうか、自分のものになっておるだろうか、成程これじゃほんとのおかげに成らん筈じゃなぁということが分かる。
私は椛目で今一番大きなおかげを頂かにゃならん時です。いよいよ大きな信心を、行き詰まりのないどんな場合でも迷わんですむ、いやどの様な事があっても。昨日、家業の行ということについての、お道の信心は家業の行だ。火や水の行ではない、家業の行ぞ、とこう仰る。なら家業の行とはどういうことか、ね、ただ自分の頂いている商売人が商売を・忠実にすると。お百姓さんがお百姓の道に一生懸命になると、こういうことかと思っておったんです。
ところがこれなら信心がなかっても、真面目な人なら、一生懸命商売熱心でもう商売付き合いのごと商売のことならもうなんていうですか、もうしちゃなかというごたる商売好きな人がありますよね。お百姓さんでも篤農家と言われるような人達はです、もうそれこそ畑の中におる時間の方が、一日のうち一番多いと言われるぐらいにです、自然に親しむことを、もう唯一の楽しみにしておる人もありますよ。ならそれが家業の行になるかとい、いやなっていない証拠に徳を受けないです。ただそれだけ余分に働きますから、いくらか違うです。
良い野菜が出来るでしょう。より沢山なるでしょう。例え商売人でもそれじゃないです。この方の行は火や水の行ではない、家業の行ぞと仰ることはです、もう家業の行の中にです、火や水の行にも匹敵する行があるということですよ。ね、もうほんとにこれが、かぁっとしてですたい、それこそ燃えるようごたある。ほんとにここで一口言わなきゃおられないと言った様なです、ね、そういう火の行にも匹敵する様な事があるんですけれども、それを金光様、金光様で浄化していくということ。
はぁそうか、家業の行というのは見易いものではないな、私はこのご理解を頂いて始めて分かった。ね、家業の行ちゃその事に熱心にある事だけが、金光様の行かと思うとった。そうじゃない。ね、その例えば仕事なら仕事を通して、起きて来る所のいわゆる、火や水の行に匹敵するようなです、私はこの修行をです、ほんとにそれを合掌して、元気な心で受けていくと言う事が家業の行だと。なるほどなぁと私は思うたんです。
どうですか皆さん、この方の行は家業の行と仰るのですから、家業の行をです、ね、皆さんのものになさったら、これはもう絶対大きな心、信心とはそういう信心だろうと思います。ね、今の椛目の人達が取り組まなければならないところは、これだと思います。ね、もう底のないどう言う様な事があっても、それを黙って受けれるだけの、いわば家業を通してのそれ、問題はです、大海の様な心でそれを受け抜かせて頂くところにです、大きなおかげが約束される。
今椛目全体がです、大きなおかげを頂かなければいつ頂くか、御造営が済んで板だいたっちゃ、あんまり値打ちがなか、例えば思われるくらいにあるのですよ、現在椛目の場合は。ですから多くの願いを立てて、ね、お願いし取ります。どんなにこれは、百万円のお供えをさせて頂きますというた人は、沢山います。椛目には。けれどもさぁけなげなことですけれども、沢山あるちゅうとおかしなことですけれども、沢山ありますよ。それが実際実行出来んじゃないですか。
おかげ頂ききらんじゃないですか。ね、ですからそういう大きな願いしさえすれば、神様は喜んで下さると、言う様な事だったら、大間違いです。ね、ほんとにそれだけのおかげ頂きたいならば、それだけ頂きたいだけの、大きな信心が出来なければならんです。ね、それには私はほんとに、教祖の神様の御教えをです、行じ抜く以外にはないと。しかもその中でも、大きなおかげ頂きたいと思うなら、家業の行を、ほんとにさしてもらわなきゃいけん。ね。
ほんとに大海のような信心をさせて頂いて、鯨のすむようなおかげを頂かなければです、今鯨の住む様なおかげを頂いて、いまこそ鯨の様な大きなおかげを頂かなければです、もうじゃないです。この頃からある方が、信心のない方ですけれど、私昔から付き合いよった。大変困ってから一万円の金を借りに来た。私すぐ神様にお許し頂いてから、貸してあげたんですけれども、そん時に頂いたご理解がですね。
今の椛目の一万円は十万円に匹敵すると。これもっともっといくかん知れません。これは言葉の表現ですから、十円ですからこれほんとです。このご理解をすぐ子供達に伝えました。あんた達がね、例えば百円使わんちゅうことは、もう千円使わんかったということと同じよと私が。どうでしょうか、御造営がすんでから
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